世界遺産 富岡製糸場
昨年、世界遺産になった富岡製糸場。1872(明治5)年に、日本初の模範的官営工場として操業開始し、1893(明治26)年に民間に払い下げられてからも1987(昭和62)年まで、115年間にわたり一貫して生糸の生産が行われました。操業停止後も建造物は操業当初のまま残されているのは貴重です。
明治維新以後の日本の、富国強兵、殖産興業の歴史は小学校で習うので、国民的教養ですね。
3月に見学を計画したのですが、時間切れ。4月から入場料が倍に値上がりしましたが、客足は順調に伸びているようです。
一昨日のNHKのニュースでは、この連休中に2万5千人の人出を見込んでいるとか。人口5万人の富岡市にそんなに大勢の人が一気に押し寄せることを想像すると…((((;゚Д゚)))))))
でも、ここで行っておかないと、またいつになるかわからないので、お友達のKさんを誘って出かけました。
前回高崎に来た時は新幹線を使いましたが、最近、東海道線が高崎まで乗り入れたことを知りました。これなら、私の住む横浜から乗り換えでバタバタしなくてすみ、楽に行けます。
高崎到着。向かいのホームには何とD51❗️
高崎で上信電鉄に乗り換え、上州富岡まで約40分、10:30頃到着。
駅前で、地図を受け取り、お土産屋さん「お富ちゃん家」で入場券を買って、富岡製糸場へ…。駅から15分くらいで到着。
自販機で200円の整理券を買って、ガイドツアーに参加しました。1時間ほどで全体を案内してもらえま〜す。オススメです。
製糸場は、明治5年操業開始。「明治五年」とアーチに記されています。
生糸とお茶が基幹産業だった明治初期の日本。外貨の稼ぎ手の中心となったのは、手先の器用な10代の娘たち。この工場は食住も医療も無料(給料は能力給)なのに、工女を募集しても、なかなか集まらなかったため、操業予定が3ヶ月遅れたそうです。
その訳は、この工場の指導に当たったフランス人が赤ワインを飲んでいるのを、娘の生き血を飲んでいると勘違いし、入場すると外国人に生き血を取られるというデマが流れたとか。(確かにそう見えるのかも⁈)初代製糸場長の尾高惇忠が、娘(勇、14歳)を工女第1号として入場させることで、誤解を解いたそうです。
こちらは寄宿舎。
西繭倉庫。工事中で入れません(>_<)
東繭倉庫。(ガイドさんの背中がちょっとだけ映っています。)
建物は木骨煉瓦造。骨組みは木で造り、柱の間に煉瓦を積み上げて壁を作るというもの。煉瓦の積み方にお国柄が出ています。こちらはイギリス式。
油庫。こちらはフランス式。煉瓦の並べ方の、縦と横の置き方の組み合わせ方に違いがあります。
繰糸場。繭から生糸を取る作業が行われていた所。
繰糸機の動力は石炭を燃焼させた蒸気。因みにこの製糸場には50年ほど電気がなかったので、照明設備はなく、太陽光だけで細い糸を取る作業をしていたというのには驚き!(◎_◎;)
当然、夏と冬では労働時間が異なり、平均7時間45分/日だったそうです。
そして、電気がなかったことが、工女たちの長時間労働を防ぎ、彼女たちの健康を守ったそうです。(逆に電気が入ってから、様々な労働問題が発生したというのは皮肉なもの。現代においても、IT化以降の便利さが、却って労働現場のブラック化をもたらし、労働者を不幸にしているという面があるのと似ています。(ーー;))
このフランス式操糸機は、糸を一度小枠に巻き取ってから大きな枠に巻くという二段階の工程ですが、小枠に巻くのは、座繰り式に慣れた日本には受け入れられやすかったそうです。